テロ 許すまじ 2
電車内で放火をし、乗客に刃物で切りつけたテロが昨年地元の沿線で起こったことはこの場で書いた。
その対応なのか、電鉄会社では特急の停車駅を増やすことで無停車区間の長さを縮めるという措置がとられた。 無停車時間が長くなる区間を狙って犯行を計画したという犯人の供述に呼応してのものだろう。
加えて電車内の監視カメラを増やしたともいうが、それ以外はそれまでの日常に戻った。特に警備員が巡回しているということはない。
それほどのことが起こったにもかかわらず、恐怖の記憶は人々から消えたように見える。
そこでこのたびの銃撃テロである。
大胆にも公衆の面前で決行され、犯行者はすぐに取り押さえられはしたものの、最悪の結果を招いてしまった。
これが要人ひとりを標的としたものではなく、聴衆の群衆に向けて人込みから散弾銃を乱射するというテロもあり得たのだ。
意図的かどうはわからないが、各主要メディアでは特定の団体に関する報道がなされるのみとなって、話は次第に本筋から離れていきつつある。不利かつ困難な主題から相手の注意をそらすために全く違う話をしてごまかす詐術的な手法を想起する。
ひょっとして「触れてはならない」なにかがあるのだろうか。
元首相の殺害による国際政治への影響という側面は、国の安全が脅かされることにつながる。
この視点と同時に、公共の安全が脅かされているのだという視点を持たねばならないのは重要だ。
ふたつの大切な課題を、はからずも同時に得ることができたというのに、言論機関たるメディアがこのていたらくである。
今のメディアの洪水を煙幕にして、実は背後で「真の捜査活動」が行われていてほしい。
ぜひそう願いたいものである。
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