まだそんなことを

 数年前の4月頃、都内でのことだ。
 昼前の電車に若い男性一人が乗り込んできた。
 男性は立ったままいきなり童謡を歌い始めた。
 誰もがよく知っている歌である。
 私は眺めるともなしに様子をうかがっていたが、彼はフルコーラスを歌い終えた次の駅で降りて行った。
 歌っているときは乗客のほとんどが見て見ぬ振りをしていた。というか、だれもがいたたまれない思いだった違いない。
 男性は降りるときに「どうも失礼しましたー」と言って去って行ったので、乗客一同はさらにあっけにとられたと思う。
 あまりに奇妙な出来事に、職場に着いて仲間に一部始終を話すと、
「それは企業の研修の一種か、大学の部活の”度胸試し”の一環ですよ」とその一人に言われた。
 なるほどそうか。
 私が若いときにも一部の企業で、研修と称して大勢の新入社員を街頭に並ばせ「おはようございます! ありがとうございました!」と大声で言わせるようなことがあった。
 その前を通りながら私はいたたまれない気になったことを覚えている。
 いかに就職事情が厳しくなったとはいえ、また先輩後輩の差があるとはいっても、立場をかさに着て愚行を強制する蛮風がいつまでも許されるとは思えない。
 かつてはその場だけの恥だったろうが、現在は違う。
 本当にやってきたかどうか、その付近にはスマートフォンで動画を隠し撮りしている監視人がきっといたはずだ。
 想像するだにいやな話である。

 先頃ヨーロッパで自爆テロが行われた。
 自爆の現場のそばには必ず監視人(そして証人となる者)がいるとニュース解説で聞いた時、私は同様ないやな気配を感じた。
 ともに組織というもののおぞましさを物語ると思う。
 蛮行は決して許されない。

Original 26 mar 2016

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