さらば わがいとしの老舗
久しぶりで新宿へ行き、帰りに長年なじんだ老舗とんかつ店に立ち寄ろうとした。
近くまで行くとお店の3階建ての細長いビルに覆いがかけてあるのが見えた。
「改装工事中か」と思って入り口へ近づくと「閉店のごあいさつ」の張り紙が出ている。
呆然として張り紙を眺めていると、中から工事関係者の男性が出てきて、「先代から引き継いだ今のご主人が、(店の経営を)やめちゃったらしいんだよ」と説明してくれた。
なんということだ。
私はこの店に20代のころから通い続けてきた。
新宿という場所柄、少々値段も張るがそれに見合ってあまりある手のかかった調理法、材料自体の良さを感じさせる格別な味わいは他店に比類のないものだった。
パン粉ではなく5ミリほどの幅に刻んだパンを使った独特な衣で、そのさっくりとした食べ応えが忘れられない。
学生時代は少々無理をして行っていたが社会人になってからは、遠くから来た友人、仕事上の先輩や後輩らを、我が家に招くようにして通ったものだ。この店の味わいを一人でも多くに知ってもらいたいと思ったのである。
1人で訪れた時はいつもカウンター席だった。
長年同じメンバーだった数人の調理場の人々が私を覚えてくれていたらしく、何度か声をかけてもらったこともある。
伝統的な徒弟制の名残を感じさせるカウンターの内側の厨房、常連客と調理師たちの味のあるやりとり、「いらっしゃいましー」「ありがとう存じました」という古風な東京風のあいさつが今も耳に残っている。
私がこの店に行き始めた頃は2階建ての木造店舗だった。
帰りにお勘定をするとき私はいつも帳場の壁にかけてある色紙を見ていた。
「呑みねぇ 食いねぇ とんかつ三太 虎造」
それは浪曲の名手、廣澤虎造の筆であった。
さようなら 三太。
Original
16 mar 2019
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