正月も過ぎ

正月の期間を過ぎると思い出すことがある。
 それは、平成を迎えた日のことだ。
 出社前、朝早くテレビをつけると「平成」という筆書きの額を掲げた小渕氏が出ていた。
 出勤時にターミナル駅を通ると新聞の号外を配布していた。一部を受け取ってしみじみと電車の中で見た。
 街は一段と静かで、正月の静けさが戻って来たようだった。
 もうそれから28年も経ってしまった。
 
 このごろの若い人たちが口にする言葉のひとつに「昭和な・・」というものがあるようだ。
 今の時代とズレている、または古くさいという程度の意味ならまだいいが、電車内などで聞くと多分に「精神論先行」という昭和特有の空気がまだ会社や学校には残っているなという感じを受けるのだ。
 このニュアンスで語られるのを聞くのは昭和世代のひとりとして少々つらい。
 戦後20年以上も経った私の年代では、それ以前ほどに先輩後輩の関係が絶対的ではなくなりつつあり、精神論主体の空気にも疑問が差し挟まれつつあった。
 とはいえ、それ以前の先輩たちが現役でいる以上は、それを前面に出すのがはばかられる、という微妙な時代でもあったのだ。
 働き始めたころも先輩達がリードしていた時代には、「わからず屋め」と思うことはあっても口に出せず、結局自分の世代がリードする時代は当事者になってみると存外短いものだった。
 もっとも、常に時代は流れているもので、いつどんな時期でも「過渡期」なのだ。あとで振り返り「あのときが変わり目だったのかも」と思えることはあるだろうが。
 自分の関わった仕事の世界を大きく変化させることができなかったのは悔やまれる。時間が足りなかったというのは言い訳がましくてさらに悔しいのだが・・。

original 17 jan 2016

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